インタビュイー:株式会社ハシマ 代表取締役社長 大塚俊輔様
インタビュアー:岐阜信用金庫 理事・本店営業部長 川瀬元康
インタビュアー:岐阜信用金庫 理事・本店営業部長 川瀬元康
歴史ある事業を承継する 譲る側と受ける側の覚悟
川瀬:現会長でお父様の大塚雅之様には、「ぎふしん未来TALK」の前身である「トークぎふしん」NO.63(1995年1月発刊)にご登場いただいています。この30年の間に、ご長男大塚俊輔様が入社、社長交代という節目を経て、株式会社ハシマのこれまでの歴史を未来へと繋いでみえます。非常に歴史ある企業ですが、まず、御社の創業からの歴史と、主な事業内容についてお聞かせいただけますか。
大塚:弊社は、現在は機械メーカーとして事業活動を行っていますが、1956年に、羽島ミシン株式会社として岐阜で創業しました。祖業は、ミシンパーツの卸業です。1970年代に縫製付帯設備、接着プレスと言われる機械を開発し、そこから機械メーカーとして出発しました。その後、アイロンや転写プレスなど様々な機械を開発してきましたが、近年では検針機と言われる折針等を検査する機械を中心に製造し、事業を広げてきたという経緯があります。
最近では、X線やRFID等の新しい技術を取り入れながら、縫製業の中で「縫製品質の最後の砦」と言われるような役割を担ってきています。
川瀬:大塚社長は38歳と非常にお若いですが、社長にご就任なさったのはいつ頃でしょうか。現会長が2代目で、社長は3代目になるのですか。
大塚:私は2024年4月、36歳で社長に就任しました。創業は1956年ですが、実はその前身となる羽島産業という会社が弊社のもとであり、その中のミシンパーツを扱う部門をそのまま独立させる形になったので、会社(株式会社ハシマ)としては3代目、事業としては4代目ということになります。
川瀬:そうなのですね。では、大塚社長の簡単なご経歴と、幼少期から株式会社ハシマを承継されるというお気持ちがおありだったのかどうか、その辺りをお聞かせください。
大塚:私は1987年生まれの38歳、社長に就任して3年目になります。
私は小学校を卒業後、母とともに拠点を東京へ移し、中学・高校・大学を東京で過ごしました。大学卒業後は、日本で仕事をするよりアメリカに行きたいと思い、父に相談したところ、「郵船ロジスティクス」を紹介していただき、就職をしました。マイアミで2年程働き、その後はニューヨークにある弊社のお取引先で1年程修行をさせていただいた後、帰国して株式会社ハシマへ入社しました。
川瀬:アメリカから戻られた時はおいくつだったのですか?
大塚:26~27歳です。ですので、10年程社内で経験を積み、社長に就任しました。
川瀬:今、日本は少子化なので、事業承継はどの企業にとっても重要な課題だと思います。私が色々なお客さまとお話する中でも、特に御社はとても理想的な後継者へのバトンタッチができていると感じます。ご自身として、事業承継して良かった点、逆に苦労されている点があればお聞かせください。
大塚:弊社は、現在は機械メーカーとして事業活動を行っていますが、1956年に、羽島ミシン株式会社として岐阜で創業しました。祖業は、ミシンパーツの卸業です。1970年代に縫製付帯設備、接着プレスと言われる機械を開発し、そこから機械メーカーとして出発しました。その後、アイロンや転写プレスなど様々な機械を開発してきましたが、近年では検針機と言われる折針等を検査する機械を中心に製造し、事業を広げてきたという経緯があります。
最近では、X線やRFID等の新しい技術を取り入れながら、縫製業の中で「縫製品質の最後の砦」と言われるような役割を担ってきています。
川瀬:大塚社長は38歳と非常にお若いですが、社長にご就任なさったのはいつ頃でしょうか。現会長が2代目で、社長は3代目になるのですか。
大塚:私は2024年4月、36歳で社長に就任しました。創業は1956年ですが、実はその前身となる羽島産業という会社が弊社のもとであり、その中のミシンパーツを扱う部門をそのまま独立させる形になったので、会社(株式会社ハシマ)としては3代目、事業としては4代目ということになります。
川瀬:そうなのですね。では、大塚社長の簡単なご経歴と、幼少期から株式会社ハシマを承継されるというお気持ちがおありだったのかどうか、その辺りをお聞かせください。
大塚:私は1987年生まれの38歳、社長に就任して3年目になります。
私は小学校を卒業後、母とともに拠点を東京へ移し、中学・高校・大学を東京で過ごしました。大学卒業後は、日本で仕事をするよりアメリカに行きたいと思い、父に相談したところ、「郵船ロジスティクス」を紹介していただき、就職をしました。マイアミで2年程働き、その後はニューヨークにある弊社のお取引先で1年程修行をさせていただいた後、帰国して株式会社ハシマへ入社しました。
川瀬:アメリカから戻られた時はおいくつだったのですか?
大塚:26~27歳です。ですので、10年程社内で経験を積み、社長に就任しました。
川瀬:今、日本は少子化なので、事業承継はどの企業にとっても重要な課題だと思います。私が色々なお客さまとお話する中でも、特に御社はとても理想的な後継者へのバトンタッチができていると感じます。ご自身として、事業承継して良かった点、逆に苦労されている点があればお聞かせください。
大塚:正直なところ、幼少期から必ず継ごうと決めていた訳では全くありません。学生時代の休みの殆どをアメリカで過ごしましたし、海外に係る仕事をするのだろうな、海外の仕事をしたいなとは思っていました。その上で、父がものづくりに携わる姿や海外の仕事をする姿を間近で見てきたので、大学を卒業する時には自然と株式会社ハシマへの入社を決めていました。
ただ、これは建前(表向きな説明)であり(笑)、内心では、正直やはり義務感として引き受けたというところがない訳ではありません。自分が幼少期から受けた教育、恵まれた家庭環境に対し、恩返しをしなければならないという気持ちは強くありましたので、具体的にはどうすることかと考えた時、株式会社ハシマを継いで大塚家を残していく、ハシマを支えていただいた従業員と共に成長するということが自分の使命であり役割、仕事だと思いました。正直ベースでは、入社前は両親や従業員の方への恩返しの気持ちが大きかったと思います。
しかし、入社後も同じ気持ちでいるのかいうとこれは全く違います。入社後すぐに義務感は消え、ハシマという会社やその製品がどのような価値を世界に提供してきたかを理解し、また自分が関われることにやりがいや面白さを感じ、楽しさへと変わっていったときに、会社や会長へのリスペクト、そしてお互い(会長と私)のありたい姿が重なり、継承もうまくいき始めたと感じています。
私が知っている会社の中にも事業承継が非常にうまくいっている会社があるのですが、その秘訣は「決める」という覚悟ではないかと感じています。承継者である現経営者の方は会社のコア技術や人的資源をうまくブラッシュアップしたり転用することで、現在大きな成長を遂げており、それ自身は本人の努力と才覚、そして覚悟による部分が大きいと思いますが、それを全く口を出さずに見守った先代もまだまだ現役世代なのに素晴らしい覚悟だと思います。つまり、任せると決めてしまったら任せてしまう、任されたと思ったら全力で取り組むということです。そういう意味では、会長は株式移転も含め随分前からしっかり準備してくれていたので、受ける側である私の覚悟というよりも、譲る側の会長の覚悟には心から感謝しています。
ただ、これは建前(表向きな説明)であり(笑)、内心では、正直やはり義務感として引き受けたというところがない訳ではありません。自分が幼少期から受けた教育、恵まれた家庭環境に対し、恩返しをしなければならないという気持ちは強くありましたので、具体的にはどうすることかと考えた時、株式会社ハシマを継いで大塚家を残していく、ハシマを支えていただいた従業員と共に成長するということが自分の使命であり役割、仕事だと思いました。正直ベースでは、入社前は両親や従業員の方への恩返しの気持ちが大きかったと思います。
しかし、入社後も同じ気持ちでいるのかいうとこれは全く違います。入社後すぐに義務感は消え、ハシマという会社やその製品がどのような価値を世界に提供してきたかを理解し、また自分が関われることにやりがいや面白さを感じ、楽しさへと変わっていったときに、会社や会長へのリスペクト、そしてお互い(会長と私)のありたい姿が重なり、継承もうまくいき始めたと感じています。
私が知っている会社の中にも事業承継が非常にうまくいっている会社があるのですが、その秘訣は「決める」という覚悟ではないかと感じています。承継者である現経営者の方は会社のコア技術や人的資源をうまくブラッシュアップしたり転用することで、現在大きな成長を遂げており、それ自身は本人の努力と才覚、そして覚悟による部分が大きいと思いますが、それを全く口を出さずに見守った先代もまだまだ現役世代なのに素晴らしい覚悟だと思います。つまり、任せると決めてしまったら任せてしまう、任されたと思ったら全力で取り組むということです。そういう意味では、会長は株式移転も含め随分前からしっかり準備してくれていたので、受ける側である私の覚悟というよりも、譲る側の会長の覚悟には心から感謝しています。
バトンタッチ 渡し手と受け手の並走期間
川瀬:私が会長と社長、それぞれとお話する中で、お互いがお互いをとてもリスペクトされていることを非常に感じます。社長は、会長が株式会社ハシマをこれだけのものにされてきたことを尊敬してみえるし、同時に会長は、自分の後継者の素晴らしいところをちゃんと理解してみえる。うまくバトンタッチができている理由ではないでしょうか。
大塚:ありがとうございます。一般的に、事業継承する場合、経営全般、全てを任せたとなると思うのですが、弊社は2人代表制ということもあり、営業・開発・企画はメインに私が、製造と財務部分はまだ会長に見ていただいている部分もあります。会長から「お前の強みはそこじゃなくてまずそっちをやれ。こっちは見といてやるから、そっちを頑張れ。」と言っていただいているように私自身は感じています。
本当は、不満もあると思うのですが、敢えてぐっとこらえているのだと思います。事業承継が大変という点ではどの企業でも同じだと思いますし、株式移転などテクニック的なこともあるのでしょうが、承継特のメンタル的な側面も同時に重要だと感じています。私自身も、基本的にこの継承の形は会長が設計して、私は継承させていただいた、譲り受けさせてもらったものだから、一歩ひいて、会長から言われた言葉を必ず咀嚼するということを意識しています。会長から意見をもらったとき、自分は正しいのに!と感情的になってしまうよりも、「なぜ」この意見を言っているのか、「なぜ」この結論なのか、「なにか」を見落としていないか?お互いに見えているものは何か?と考え咀嚼することで、随分メンタル面も考えも違ってくると思います。継承元である会長は、ある意味権力闘争の相手でもあるし、一方でいちばん近い先輩経営者、いちばん近い上司でもあり、そして何よりも肉親ですからね。少なくとも、会社を数十年も経営し成長させたという実績は私にはないる部分もあります。そうしないとしんどいこともありますが、それも承継という仕事だと思っています。(笑)
川瀬:とはいえ、会長は社長が学生の頃に既に資質を見抜いていらっしゃったと思います。そうではないと、金銭的なことも含め準備はできないと思います。いざ、社長交代と言われた時の気持ちはどうでしたか。
大塚:社長交代については、入社当時から言われていました。会長が社長になったのは36歳頃だったので、そのタイミングは会長も意識していたと思います。
川瀬:以前、会長から承継についてお話を伺ったことがありますが、バトンタッチの際、バトンを渡す時に、実は少し並走する時間がある。今はそこであるとお話されたのがすごく印象に残っています。もちろん、これまでの親子関係やお互いの資質もあるのでしょうが、バトンの渡し手も、受け手も本当に上手!
大塚:ありがとうございます。一般的に、事業継承する場合、経営全般、全てを任せたとなると思うのですが、弊社は2人代表制ということもあり、営業・開発・企画はメインに私が、製造と財務部分はまだ会長に見ていただいている部分もあります。会長から「お前の強みはそこじゃなくてまずそっちをやれ。こっちは見といてやるから、そっちを頑張れ。」と言っていただいているように私自身は感じています。
本当は、不満もあると思うのですが、敢えてぐっとこらえているのだと思います。事業承継が大変という点ではどの企業でも同じだと思いますし、株式移転などテクニック的なこともあるのでしょうが、承継特のメンタル的な側面も同時に重要だと感じています。私自身も、基本的にこの継承の形は会長が設計して、私は継承させていただいた、譲り受けさせてもらったものだから、一歩ひいて、会長から言われた言葉を必ず咀嚼するということを意識しています。会長から意見をもらったとき、自分は正しいのに!と感情的になってしまうよりも、「なぜ」この意見を言っているのか、「なぜ」この結論なのか、「なにか」を見落としていないか?お互いに見えているものは何か?と考え咀嚼することで、随分メンタル面も考えも違ってくると思います。継承元である会長は、ある意味権力闘争の相手でもあるし、一方でいちばん近い先輩経営者、いちばん近い上司でもあり、そして何よりも肉親ですからね。少なくとも、会社を数十年も経営し成長させたという実績は私にはないる部分もあります。そうしないとしんどいこともありますが、それも承継という仕事だと思っています。(笑)
川瀬:とはいえ、会長は社長が学生の頃に既に資質を見抜いていらっしゃったと思います。そうではないと、金銭的なことも含め準備はできないと思います。いざ、社長交代と言われた時の気持ちはどうでしたか。
大塚:社長交代については、入社当時から言われていました。会長が社長になったのは36歳頃だったので、そのタイミングは会長も意識していたと思います。
川瀬:以前、会長から承継についてお話を伺ったことがありますが、バトンタッチの際、バトンを渡す時に、実は少し並走する時間がある。今はそこであるとお話されたのがすごく印象に残っています。もちろん、これまでの親子関係やお互いの資質もあるのでしょうが、バトンの渡し手も、受け手も本当に上手!
岐阜から世界へ 業界のリーディングカンパニーとして
川瀬:株式会社ハシマに名前が変わったのが創立40周年の1995年、当時、社長は小学生低学年でしょうか。会長が海外に行くようになられた当時を振り返って、その頃の記憶や思い出はありますか。
大塚:はい。記憶も思い出もしっかりありますね。私は小さい頃から海外へよく行っていて、小学校2~3年生の時に1人で1カ月ぐらいオーストラリアにホームステイしてたりするんですよね。当然ホームシックにもなりましたよ。そういう意味ではスパルタでしたね。父はイギリスの大学ですし、母も元CAで国際感覚はあり、姉も高校生からアメリカに住んでいますので、家族で海外に対する考え方がオープンマインドだったと思います。シンガポールに会社を作ったタイミングで、毎年夏になるとシンガポールに家族で一緒に行っていました。その時には代理店の子どもさんたちとよく話したり遊んだりしていました。
川瀬:幼少期から既にグローバルにお育ちになっていたのですね。その頃から育成が始まっていたのでしょうね。
大塚:今、私が個人的に仲の良い30代40代の海外経営者には、同業の経営者や事業家が結構います。実際、そういう関係性が保てるのは、幼少期から大学にかけてのグローバル感覚や経験が大きいと思います。
川瀬:ところで、株式会社ハシマは「世界標準。」を標榜されていて、海外展開も著しいですが、日本と海外の割合はどの程度ですか。
大塚:売上比率で言うと、大体80%が海外で、20%が国内となっていますので、日本のメーカーとしてはかなり海外偏重だと思います。拠点も今は、中国、シンガポール、インド、バングラディッシュ、ベトナム、アメリカ、パキスタンと7か国にあります。
川瀬:グローバルな視点でみた日本の事業、岐阜という地域から発展されたこの地域への思いなどをお聞かせください。
大塚:はい。記憶も思い出もしっかりありますね。私は小さい頃から海外へよく行っていて、小学校2~3年生の時に1人で1カ月ぐらいオーストラリアにホームステイしてたりするんですよね。当然ホームシックにもなりましたよ。そういう意味ではスパルタでしたね。父はイギリスの大学ですし、母も元CAで国際感覚はあり、姉も高校生からアメリカに住んでいますので、家族で海外に対する考え方がオープンマインドだったと思います。シンガポールに会社を作ったタイミングで、毎年夏になるとシンガポールに家族で一緒に行っていました。その時には代理店の子どもさんたちとよく話したり遊んだりしていました。
川瀬:幼少期から既にグローバルにお育ちになっていたのですね。その頃から育成が始まっていたのでしょうね。
大塚:今、私が個人的に仲の良い30代40代の海外経営者には、同業の経営者や事業家が結構います。実際、そういう関係性が保てるのは、幼少期から大学にかけてのグローバル感覚や経験が大きいと思います。
川瀬:ところで、株式会社ハシマは「世界標準。」を標榜されていて、海外展開も著しいですが、日本と海外の割合はどの程度ですか。
大塚:売上比率で言うと、大体80%が海外で、20%が国内となっていますので、日本のメーカーとしてはかなり海外偏重だと思います。拠点も今は、中国、シンガポール、インド、バングラディッシュ、ベトナム、アメリカ、パキスタンと7か国にあります。
川瀬:グローバルな視点でみた日本の事業、岐阜という地域から発展されたこの地域への思いなどをお聞かせください。
大塚:私は、岐阜が本社ということと世界を相手にすることは、あまり矛盾していないと思っています。
最近、東京へ行った時にラーメンを食べたのですが、1杯1,700円もするのですよ。岐阜の時給を頭に思い浮かべながら、海外だけでなく、地方と東京はこんなにも差がついてしまっていることを目の当たりにし衝撃を受けました。しかし本当にそれでいいのか。アメリカを見ると、意外と地方にめちゃくちゃでかい会社がある。世界のリーティングカンパニーが地方にあるのです。ニューヨークにある必要も、ロサンゼルスにある必要もないんですよ。地方にあるメリットはそれはそれであるはずなんです。例えば、リビングコストはじめいろんな面でコストが安かったり、違うQOLがあったりする。なので、私としては岐阜という自分が生まれ育った場所、豊かな地方で世界と戦うことができて、世界を相手に商売ができれば、世界や都市部と同じような基準の給料を岐阜で払うことができるんじゃないかと思うわけです。当社で世界基準で活躍していただける方々は、岐阜にいながら都市部・世界基準の給与、私はそれを目指してるし、そこをやっていきたい。これが私のライフワークです。なので、岐阜から出ていく気はないです。もしかしたら営業本社はシンガポールに移転するとか、バンコクに移転することはあるかもしれないですが、いわゆる金融本社や本部機能は基本的には岐阜に置くつもりです。
最近、東京へ行った時にラーメンを食べたのですが、1杯1,700円もするのですよ。岐阜の時給を頭に思い浮かべながら、海外だけでなく、地方と東京はこんなにも差がついてしまっていることを目の当たりにし衝撃を受けました。しかし本当にそれでいいのか。アメリカを見ると、意外と地方にめちゃくちゃでかい会社がある。世界のリーティングカンパニーが地方にあるのです。ニューヨークにある必要も、ロサンゼルスにある必要もないんですよ。地方にあるメリットはそれはそれであるはずなんです。例えば、リビングコストはじめいろんな面でコストが安かったり、違うQOLがあったりする。なので、私としては岐阜という自分が生まれ育った場所、豊かな地方で世界と戦うことができて、世界を相手に商売ができれば、世界や都市部と同じような基準の給料を岐阜で払うことができるんじゃないかと思うわけです。当社で世界基準で活躍していただける方々は、岐阜にいながら都市部・世界基準の給与、私はそれを目指してるし、そこをやっていきたい。これが私のライフワークです。なので、岐阜から出ていく気はないです。もしかしたら営業本社はシンガポールに移転するとか、バンコクに移転することはあるかもしれないですが、いわゆる金融本社や本部機能は基本的には岐阜に置くつもりです。
大塚:何より岐阜はバランスがいいですよね。名古屋に近いのに自然が豊かじゃないですか。車で40分圏内で都市部がある。かつ山の方にも40分走ったら、飲めるほど綺麗な川が存在する。こんな場所ってあんまない。もちろん、海はありませんが、例えば渓流釣りが趣味だったら、すぐ近くに川があるし、アウトドアなアクティビティの趣味がある方は岐阜に住むには相当いいと思う。ゴルフ場も近くにある。スキー場だってある。ワークライフバランスを考えた時に、東京に住みたいかというとコスト面を抜きにしても疑問がある。ただし、岐阜が発展していく上で絶対にやらなければならないことは「教育」だと思います。現状では、海外の大学に行くことを想定したルートを標準的に持っている小中高は岐阜には存在するんでしょうか。少なくとも教育支援という面で、僕らの会社の中心になるシンガポール、バンコク、上海、東京と岐阜を比較した時には選択肢が違うように思います。もし全寮制のインター等の学校ができたり、世界レベルの「教育」が整えば素晴らしいと思うし、それこそが地方創生だと思います。
川瀬:海外展開のお話がありましたが、この次の展開として興味を持ってらっしゃる国や地域はありますか。
大塚:この数年で南アジアは相当攻めました。2024年にインド事務所を法人化、2025年にはパキスタン事務所を立ち上げ、2026年にはバングラディシュ事務所の法人化を完了し、各国で在庫を持てる状況、サービスが行える状況を作ってきました。次にやりたいと思っているのはタイ、バンコクですね。現在、シンガポールがセールスHQとなっているものの、シンガポールのコストが上りすぎてしまっているのが課題です。地域を想定していくとタイというのが、税務的な面でも、日本人の生活のしやすさでもいいと思っています。しかし、一番の理由は、飛行機での移動の面が明らかにいい。当社の事務所はホーチミン、ハノイ、インド・バンガロール、シンガポール、ダッカ、パキスタンにありますけど、タイからは全部直行便なのですよ。しかも2~3時間で行ける。今後ローカル人材がローカル営業やメンテを自律的に行い、タイの統括法人がディレクションとマーケットを超えた営業機能を提供する上でも、このアクセスの良さは大きい。お客さんから相談があったら、明日行きますって話ができる場所というのはかなり強いと思います。
川瀬:アジアのハブのイメージですね。
大塚:我々は「コア×アジア」という戦略をとって仕事をしています。年平均成長率(CAGR)が、日本の縫製業は1~2%程度だと言われている。円安の影響もあり、何なら成長してないとまで言われている。一方、アジア全体を見ていくと、アジアは2030年までのCAGRが7%予想、インドとが10%強、バングラデイシュが12~14%。
この5%のアジアとの差こそ、我々が活躍する場所、成長する場所だと思っているので、アジアにどんどん根をはっていきたいし、拠点を作っていきたいと思っているのです。我々は検査機を含む縫製付帯設備という機械を作っておりますが、ユーザー様である縫製工場が機械を選ぶ基準は、その工場のお客さま、つまり工場へ仕事を依頼している企業が「この機械・機能で検査・製造・データ取得してください」という「機器・機能指定」をしているのです。我々が成長できたのは、この「指定側」のニーズを捉えることが素早く、内外問わず大手ブランドが「HASHIMA」を使ってくださいね、と言っていただいたのいちばんの要因です。
一方で、もちろん弊社より廉価な中国メーカーの検針機も存在するし、インドにも接着プレスは存在するのに、なぜ「HASHIMA」なのか、工場様がなぜ我々を使わなければいけないのか、ということに対しても当然答えを用意しなければいけない。「アジアのネットワーク」こそがその答えだと思っています。アジアでハブを持ち、アジア各国にハシマクォリティを広げていくというのが非常に重要かと思っているので、現状はバンコクが次の候補として有力です。
川瀬:今のアジアは5%から10%の間の成長率なので、アパレルに付属する検針機、接着プレスの機械も5%超成長の余力があるということですね。アジアにいけばまだまだ成長の余力がある。
大塚:服の作り方が変わってきているという印象があります。どうしても労働集約的でアナログな仕事だという印象がありましたが、最近はデータによるお話をするケースが増えてきています。具体的には、RFIDを使った検査ログや、接着強度の測定とログなど、機械そのものと結果を数字で説明できるようにするため、データ上でのやり取りが増えてきたので、アジアの中でも求められるものも変わってきています。ある部分機械の訴求の仕方が変わってきて、我々にとってチャンスがあると感じています。
川瀬:海外展開のお話がありましたが、この次の展開として興味を持ってらっしゃる国や地域はありますか。
大塚:この数年で南アジアは相当攻めました。2024年にインド事務所を法人化、2025年にはパキスタン事務所を立ち上げ、2026年にはバングラディシュ事務所の法人化を完了し、各国で在庫を持てる状況、サービスが行える状況を作ってきました。次にやりたいと思っているのはタイ、バンコクですね。現在、シンガポールがセールスHQとなっているものの、シンガポールのコストが上りすぎてしまっているのが課題です。地域を想定していくとタイというのが、税務的な面でも、日本人の生活のしやすさでもいいと思っています。しかし、一番の理由は、飛行機での移動の面が明らかにいい。当社の事務所はホーチミン、ハノイ、インド・バンガロール、シンガポール、ダッカ、パキスタンにありますけど、タイからは全部直行便なのですよ。しかも2~3時間で行ける。今後ローカル人材がローカル営業やメンテを自律的に行い、タイの統括法人がディレクションとマーケットを超えた営業機能を提供する上でも、このアクセスの良さは大きい。お客さんから相談があったら、明日行きますって話ができる場所というのはかなり強いと思います。
川瀬:アジアのハブのイメージですね。
大塚:我々は「コア×アジア」という戦略をとって仕事をしています。年平均成長率(CAGR)が、日本の縫製業は1~2%程度だと言われている。円安の影響もあり、何なら成長してないとまで言われている。一方、アジア全体を見ていくと、アジアは2030年までのCAGRが7%予想、インドとが10%強、バングラデイシュが12~14%。
この5%のアジアとの差こそ、我々が活躍する場所、成長する場所だと思っているので、アジアにどんどん根をはっていきたいし、拠点を作っていきたいと思っているのです。我々は検査機を含む縫製付帯設備という機械を作っておりますが、ユーザー様である縫製工場が機械を選ぶ基準は、その工場のお客さま、つまり工場へ仕事を依頼している企業が「この機械・機能で検査・製造・データ取得してください」という「機器・機能指定」をしているのです。我々が成長できたのは、この「指定側」のニーズを捉えることが素早く、内外問わず大手ブランドが「HASHIMA」を使ってくださいね、と言っていただいたのいちばんの要因です。
一方で、もちろん弊社より廉価な中国メーカーの検針機も存在するし、インドにも接着プレスは存在するのに、なぜ「HASHIMA」なのか、工場様がなぜ我々を使わなければいけないのか、ということに対しても当然答えを用意しなければいけない。「アジアのネットワーク」こそがその答えだと思っています。アジアでハブを持ち、アジア各国にハシマクォリティを広げていくというのが非常に重要かと思っているので、現状はバンコクが次の候補として有力です。
川瀬:今のアジアは5%から10%の間の成長率なので、アパレルに付属する検針機、接着プレスの機械も5%超成長の余力があるということですね。アジアにいけばまだまだ成長の余力がある。
大塚:服の作り方が変わってきているという印象があります。どうしても労働集約的でアナログな仕事だという印象がありましたが、最近はデータによるお話をするケースが増えてきています。具体的には、RFIDを使った検査ログや、接着強度の測定とログなど、機械そのものと結果を数字で説明できるようにするため、データ上でのやり取りが増えてきたので、アジアの中でも求められるものも変わってきています。ある部分機械の訴求の仕方が変わってきて、我々にとってチャンスがあると感じています。
グローバルな視点で人を育て「HASHIMA」の価値を提供する
川瀬:人のお話も伺いたいと思いますが、グループ全体での従業員数とか、その中で外国人の従業員さんの割合はどうですか。またコミュニケーションをどのようにとってみえるかを教えてください。
大塚:従業員数はおよそ300名超です。海外拠点が多いので外国人メンバーが多くなっています。うち日本人が約80名ぐらいですね。ベトナム人110名ぐらい、中国人90名ぐらいで、バングラディシュ人7名、シンガポール人4名、インド人4人、韓国人が1人、ブラジル人1人、パキスタン人が1人という状況です。
コミュニケーションの基本は日本語ですが、現地法人は現地法人で英語中心のコミュニケーションを取ってますね。しかし、円滑な国際コミュニケーションは当社でも大きな課題です。現場の声をどうやって吸い上げるかっていうところはすごく苦労してるところですね。ただ、AIの登場によって少し状況が変わり、翻訳業務をはじめ言葉の壁がかなり下がったという印象はあります。具体的には、弊社のクレームシステムですが、従前は日本語入力に限定していました。その結果、海外日本人スタッフがボトルネックになっていました。しかし、チャットGPTもあるので英語入力にしたところ、日本では特に問題が起きていません。AIの力によって翻訳業務の面ではかなり効率化できたと思ってます。
大塚:従業員数はおよそ300名超です。海外拠点が多いので外国人メンバーが多くなっています。うち日本人が約80名ぐらいですね。ベトナム人110名ぐらい、中国人90名ぐらいで、バングラディシュ人7名、シンガポール人4名、インド人4人、韓国人が1人、ブラジル人1人、パキスタン人が1人という状況です。
コミュニケーションの基本は日本語ですが、現地法人は現地法人で英語中心のコミュニケーションを取ってますね。しかし、円滑な国際コミュニケーションは当社でも大きな課題です。現場の声をどうやって吸い上げるかっていうところはすごく苦労してるところですね。ただ、AIの登場によって少し状況が変わり、翻訳業務をはじめ言葉の壁がかなり下がったという印象はあります。具体的には、弊社のクレームシステムですが、従前は日本語入力に限定していました。その結果、海外日本人スタッフがボトルネックになっていました。しかし、チャットGPTもあるので英語入力にしたところ、日本では特に問題が起きていません。AIの力によって翻訳業務の面ではかなり効率化できたと思ってます。
川瀬:経営方針とか、大塚社長の思いはどのように徹底してみえますか。
大塚:各拠点へ年2回ずつは必ず行こうと決めていて、その時に現地のマネジメント層と1on1で半日ほど、半年間の振り返りを密に行い、また全体会社方針との整合の話もします。
あとは、年に2回(1月と7月)、全拠点長を対象としたグローバル会議を開催しています。昨年からは現地法人のインドのダイレクターもオンラインで参加しています。ただコミュニケーションが足りているかというと全然足りてないと思っています。どうしても良い話も悪い話ももっとスピーディに取り組みたい。
そういう面では、私が会社に入って最初に取り組んだのがクレーム管理の徹底とMBO(目標管理)の導入でした。MBOをやりながら、中期経営計画を作って全社方針を決めていきました。
クレーム管理を最初に徹底した理由は、先ほどお話した通り当社の価値は、「お客様の工場を止めないこと」だと思ってるからです。
2,000人規模の縫製工場だと、ミシンがメインで1,000~1,500台くらいあるのですが、検針機、接着プレスは少ないと2~3台しかないのです。ですから、我々の機械が故障すると製造過程の半分~3分の2が止まってしまったり不良を起こすのです。それでも「HASHIMA」をその重要工程に選んでいただけるのは、我々の機械は工場を止めないっていう信用や認識がある。工場を止めないと思っていただけるのが、我々の価値なんだ、だからネットワークが重要で海外のどこでもメンテができる状況を作ろう、という話をしたのです。なぜ?を徹底的に話したことで社内でも段々とその文化が根付いてきたと思います。
MBOについては、人事評価や目標が曖昧で、何を頑張ったら会社が評価してくれるか?会社は自分に何を求めているのか?ということがすごく不明確であり、マネジメントが不足していたため報酬制度の変更と合わせて第一歩として導入しました。
川瀬:会長が築いてみえた部分は守りつつ、社長の新しい感覚を取り入れた経営がそういった改革になる訳ですね。
大塚:各拠点へ年2回ずつは必ず行こうと決めていて、その時に現地のマネジメント層と1on1で半日ほど、半年間の振り返りを密に行い、また全体会社方針との整合の話もします。
あとは、年に2回(1月と7月)、全拠点長を対象としたグローバル会議を開催しています。昨年からは現地法人のインドのダイレクターもオンラインで参加しています。ただコミュニケーションが足りているかというと全然足りてないと思っています。どうしても良い話も悪い話ももっとスピーディに取り組みたい。
そういう面では、私が会社に入って最初に取り組んだのがクレーム管理の徹底とMBO(目標管理)の導入でした。MBOをやりながら、中期経営計画を作って全社方針を決めていきました。
クレーム管理を最初に徹底した理由は、先ほどお話した通り当社の価値は、「お客様の工場を止めないこと」だと思ってるからです。
2,000人規模の縫製工場だと、ミシンがメインで1,000~1,500台くらいあるのですが、検針機、接着プレスは少ないと2~3台しかないのです。ですから、我々の機械が故障すると製造過程の半分~3分の2が止まってしまったり不良を起こすのです。それでも「HASHIMA」をその重要工程に選んでいただけるのは、我々の機械は工場を止めないっていう信用や認識がある。工場を止めないと思っていただけるのが、我々の価値なんだ、だからネットワークが重要で海外のどこでもメンテができる状況を作ろう、という話をしたのです。なぜ?を徹底的に話したことで社内でも段々とその文化が根付いてきたと思います。
MBOについては、人事評価や目標が曖昧で、何を頑張ったら会社が評価してくれるか?会社は自分に何を求めているのか?ということがすごく不明確であり、マネジメントが不足していたため報酬制度の変更と合わせて第一歩として導入しました。
川瀬:会長が築いてみえた部分は守りつつ、社長の新しい感覚を取り入れた経営がそういった改革になる訳ですね。
新たな事業への挑戦
川瀬:株式会社ハシマを代表する事業になっているRFID事業について聞かせてください。特に、日本大手ブランドのレジストップシステムは既に広く認知されていますよね。
大塚:まだまだこれからの事業ですが…。アパレルにおけるRFIDは基本的にプライスタグに入っています。そのため工場では最下流、検針工程の直前にこのタグをつけます。検針工程が終われば出荷準備完了として倉庫に入ります。つまり、生産管理としては、ここでデータが取れれば、工場の出口・倉庫の入り口データが抑えられると思ったのです。RFIDはバーコードと似て非なるもので、バーコードは品番を識別するものですが、RFIDには品番+シリアルナンバーが入ってるんです。なので、例えば青いTシャツが50枚あった場合、バーコードでピッとやると全部同じ品番ですが、RFIDは青1T、青2T、青3Tと背番号がつけられるようなイメージです。今まで検針や検品管理が品番ごとにしかできなかったのが、単品管理ができるわけです。単品管理ができて、かつ我々は検査機を持ってますから、この検査データと単品データ、そしてパッキング情報を紐付けることによって、工場で商品が出荷準備完了となった瞬間、そしてそれが出荷された後、この種類のタグは検針機をいつ通ったか、データをすべて見られるようになったんです。これによって出荷しようとした時に検針機が通ってないものは出荷できないシステムを作ることができました。おかげさまで生産管理や出荷前管理をやりたいという、国内外の大手ブランド様からの問い合わせがすごく増えています。
川瀬:環境ということが社会的にも大きな課題になっており、グループ会社の株式会社RENERGYでは、廃タイヤのリサイクル事業をやってみえますが、どういう目的でどんなことをやってみえるかを少しお話しください。
大塚:サステナビリティや社会課題としての持続可能性に対しては重要であることは間違いないものだと思います。ただこの事業は、それを全ての目的としてやってるものではないです。あくまでも事業としてビジネス採算性が取れるというところを認識した上で行っている事業になります。もちろん結果、CO2削減へ貢献できることは素晴らしいことと感じています。一方でこれをやり続ける中で、イメージ戦略とまでは言わないですけど、グループ全体のCO2排出量を産業界の一環として紹介できるような事業になれば、顧客であるアパレル会社様には環境保全を取り組み事項として掲げている企業様も多いため、ビジョンを共有できるのは当社としてもありがたいなと思っています。
川瀬:今般、ショールームをオープンされましたが、その目的を教えてください。
また、「岐阜県木の国・山の国県産材利用促進協定」を提結されたということで発表もありましたけれども、その辺りのいきさつは?
大塚:事務所兼ショールームを作ろうと思ったきっかけは採用のためでした。揖斐工場で開発業務をやっているのですが、なかなか揖斐川町では開発人材が取れないという課題がありました。そこで本社に開発部隊を持ってこようという流れの中で、ちょうどこの土地を購入できる話があったので開発と営業を置くことにしました。「岐阜県の木の国・山の国県産材利促進協定」を締結したのは、補助金が活用できるというメリットと、同時に地域支援、地域貢献に取り組めるということです。その上で、働きやすい環境を整備することも社長の仕事だと思っていますので、はつらつ宣言と合わせて社員の満足度向上につながる事務所を目指してオープンしました。
川瀬:DXの視点での新たな事業への取り組み、環境保全への取り組み等、新しい価値や未来を創造されていて、これからがとても楽しみですね。
大塚:まだまだこれからの事業ですが…。アパレルにおけるRFIDは基本的にプライスタグに入っています。そのため工場では最下流、検針工程の直前にこのタグをつけます。検針工程が終われば出荷準備完了として倉庫に入ります。つまり、生産管理としては、ここでデータが取れれば、工場の出口・倉庫の入り口データが抑えられると思ったのです。RFIDはバーコードと似て非なるもので、バーコードは品番を識別するものですが、RFIDには品番+シリアルナンバーが入ってるんです。なので、例えば青いTシャツが50枚あった場合、バーコードでピッとやると全部同じ品番ですが、RFIDは青1T、青2T、青3Tと背番号がつけられるようなイメージです。今まで検針や検品管理が品番ごとにしかできなかったのが、単品管理ができるわけです。単品管理ができて、かつ我々は検査機を持ってますから、この検査データと単品データ、そしてパッキング情報を紐付けることによって、工場で商品が出荷準備完了となった瞬間、そしてそれが出荷された後、この種類のタグは検針機をいつ通ったか、データをすべて見られるようになったんです。これによって出荷しようとした時に検針機が通ってないものは出荷できないシステムを作ることができました。おかげさまで生産管理や出荷前管理をやりたいという、国内外の大手ブランド様からの問い合わせがすごく増えています。
川瀬:環境ということが社会的にも大きな課題になっており、グループ会社の株式会社RENERGYでは、廃タイヤのリサイクル事業をやってみえますが、どういう目的でどんなことをやってみえるかを少しお話しください。
大塚:サステナビリティや社会課題としての持続可能性に対しては重要であることは間違いないものだと思います。ただこの事業は、それを全ての目的としてやってるものではないです。あくまでも事業としてビジネス採算性が取れるというところを認識した上で行っている事業になります。もちろん結果、CO2削減へ貢献できることは素晴らしいことと感じています。一方でこれをやり続ける中で、イメージ戦略とまでは言わないですけど、グループ全体のCO2排出量を産業界の一環として紹介できるような事業になれば、顧客であるアパレル会社様には環境保全を取り組み事項として掲げている企業様も多いため、ビジョンを共有できるのは当社としてもありがたいなと思っています。
川瀬:今般、ショールームをオープンされましたが、その目的を教えてください。
また、「岐阜県木の国・山の国県産材利用促進協定」を提結されたということで発表もありましたけれども、その辺りのいきさつは?
大塚:事務所兼ショールームを作ろうと思ったきっかけは採用のためでした。揖斐工場で開発業務をやっているのですが、なかなか揖斐川町では開発人材が取れないという課題がありました。そこで本社に開発部隊を持ってこようという流れの中で、ちょうどこの土地を購入できる話があったので開発と営業を置くことにしました。「岐阜県の木の国・山の国県産材利促進協定」を締結したのは、補助金が活用できるというメリットと、同時に地域支援、地域貢献に取り組めるということです。その上で、働きやすい環境を整備することも社長の仕事だと思っていますので、はつらつ宣言と合わせて社員の満足度向上につながる事務所を目指してオープンしました。
川瀬:DXの視点での新たな事業への取り組み、環境保全への取り組み等、新しい価値や未来を創造されていて、これからがとても楽しみですね。
メインバンク(地域金融機関)に期待すること
川瀬:最後に、30年超に亘り長くお取引いただきありがとうございます。今後、岐阜信用金庫に期待されることがあればお聞かせください。
大塚:まずもって30年以上の長きに亘りおつきあいをいただき、本当にありがとうざいます。なぜ岐阜にいるかということにも繋がりますが、世界で戦う我々にとって、競争力のある金利は大きな武器になっています。もちろんは資金面だけではなく、これからも経営や事業面での伴走者として、海外展開でのリスクや新規事業の調整などサポートをしていただきたいと思います。何よりも、盤石な体制の中で足元を支えていただけることがやはり最高の魅力だと思っていますので、変わらぬ力強い支援をお願いしたいと思います。
川瀬:こちらこそ、今後もぜひよろしくお願いします。本日は、非常に貴重なお話をありがとうございました。
大塚:まずもって30年以上の長きに亘りおつきあいをいただき、本当にありがとうざいます。なぜ岐阜にいるかということにも繋がりますが、世界で戦う我々にとって、競争力のある金利は大きな武器になっています。もちろんは資金面だけではなく、これからも経営や事業面での伴走者として、海外展開でのリスクや新規事業の調整などサポートをしていただきたいと思います。何よりも、盤石な体制の中で足元を支えていただけることがやはり最高の魅力だと思っていますので、変わらぬ力強い支援をお願いしたいと思います。
川瀬:こちらこそ、今後もぜひよろしくお願いします。本日は、非常に貴重なお話をありがとうございました。



