インタビュイー:内藤建設株式会社 代表取締役社長 内藤宙様
インタビュアー:岐阜信用金庫 営業支援部長 堀正樹
インタビュアー:岐阜信用金庫 営業支援部長 堀正樹
新しい建設のありかた 「リファイニング」
堀:本日は「リファイニング建築」で建設された大垣支店におじゃましています。内藤社長は「ぎふしん未来TALK」の前進である「トークぎふしん」NO.101(2006年新年号)にご登場いただいた際、既に「リファイン建築」についてお話されています。近年でこそ、各業界でサーキュラーエコノミーが進み、環境意識が高まってきていますが、大垣支店をリファイニング建築で「建物の再生」に取り組まれたきっかけをお聞かせください。
内藤:当社は1947年に揖斐で創業し、岐阜に本社を移して法人成りしました。来年で創業80周年を迎える総合建設サービスの会社ですが、当社は鉄筋コンクリートを作る時の型枠大工が祖業で、私は4代目になります。
今から4年前、75周年の時に、100周年を目指して「75年史」を作ったのですが、その時にこの建物をどうしようかという話になりました。リファイニング前の建物は、創業20年後に建てたもので既に築後55年経過、1階に事務所があるのみで、2階より上は耐震性の課題がありました。その上、汚れもひどい状態で、1階の事務所以外は廃虚と化していました。しかし、当社の建物をよく調べると、本社は鉄骨、名古屋支店も鉄骨、祖業の鉄筋コンクリートの建物はここだけだということがわかったのです。
内藤:当社は1947年に揖斐で創業し、岐阜に本社を移して法人成りしました。来年で創業80周年を迎える総合建設サービスの会社ですが、当社は鉄筋コンクリートを作る時の型枠大工が祖業で、私は4代目になります。
今から4年前、75周年の時に、100周年を目指して「75年史」を作ったのですが、その時にこの建物をどうしようかという話になりました。リファイニング前の建物は、創業20年後に建てたもので既に築後55年経過、1階に事務所があるのみで、2階より上は耐震性の課題がありました。その上、汚れもひどい状態で、1階の事務所以外は廃虚と化していました。しかし、当社の建物をよく調べると、本社は鉄骨、名古屋支店も鉄骨、祖業の鉄筋コンクリートの建物はここだけだということがわかったのです。
しかも、1967年の竣工に関わったのが、もともと型枠大工だった現在の役員メンバーで、そのメンバーが自分たちで創ったレガシーがある建物だと再確認することになりました。そうするとこれを解体するのはあかんやろ、という話になり、既にリファイニング建築にも取り組んでいたので、リファイニングで再生させようというのが経緯です。なので、建設当時の天井や杉板の目が見えるように、わざと天井を張らず抜いた部分もあります。現在、2階は寮として社員が使い、3階は賃貸マンションで満室という状況です。
不動産会社では、「築五十数年のフルリノベ」と紹介されていますが、概念としては、「古い骨組みを再利用した新築」というのがリファイニング建築の正しい解釈です。通常のリノベだと給排水はそのままなので、例えばお風呂とかキッチンもきれいにしますが、配管はそのまま前のものを使うのです。リファイニングでは、電気も給排水も新しくしています。人間で例えると、骸骨だけ使って血管も全部新しくするのがリファイニングです。
堀:なるほど。リファイニングとリノベの違いがよくわかりました。リファイニングは新築に近いイメージですね。
内藤:そうですね。リノベでも給排水を一部やり替えることもありますが、リファイニングでは全部取り換えます。骨組み以外は全部新品なので、基本的には利用する側からすると新築と変わりません。しかも、骨組みの分だけ安くなるので、総コストは3割程度安くなります。
堀:コスト的にもメリットがありますし、環境面でも良い取り組みですよね、20年前からリファイニングに取り組まれていたとは、かなり先取りしてらっしゃるイメージを受けますが。
内藤:そう、環境にもいい。解体して全部廃棄し、また新品の鉄骨を持ってきてというよりは、環境面でも寄与していると思うので、今の時代には合っている建築法だと思います。
僕らは施工者としてお客さまに技術を提供してますが、自社もインフラを持っています。自社のインフラをどうするかをお客さん目線で考えると、やっぱり選択肢があった方がいいですものね。選択肢としては、①解体して壊す ②新築で建て直す ③リノベ・リフォームする ④リファイニング建築で再生させるの4つがある訳です。我々はやっているから知っていますが、お客さんにアピールしていかないと、実はこの第4の選択肢っていうのを気づかないまま全部壊して後悔してみえる方や、どうしようか悩んでみえる方がいるので、モデルケースとして見学に来ていただければという思いもありました。
不動産会社では、「築五十数年のフルリノベ」と紹介されていますが、概念としては、「古い骨組みを再利用した新築」というのがリファイニング建築の正しい解釈です。通常のリノベだと給排水はそのままなので、例えばお風呂とかキッチンもきれいにしますが、配管はそのまま前のものを使うのです。リファイニングでは、電気も給排水も新しくしています。人間で例えると、骸骨だけ使って血管も全部新しくするのがリファイニングです。
堀:なるほど。リファイニングとリノベの違いがよくわかりました。リファイニングは新築に近いイメージですね。
内藤:そうですね。リノベでも給排水を一部やり替えることもありますが、リファイニングでは全部取り換えます。骨組み以外は全部新品なので、基本的には利用する側からすると新築と変わりません。しかも、骨組みの分だけ安くなるので、総コストは3割程度安くなります。
堀:コスト的にもメリットがありますし、環境面でも良い取り組みですよね、20年前からリファイニングに取り組まれていたとは、かなり先取りしてらっしゃるイメージを受けますが。
内藤:そう、環境にもいい。解体して全部廃棄し、また新品の鉄骨を持ってきてというよりは、環境面でも寄与していると思うので、今の時代には合っている建築法だと思います。
僕らは施工者としてお客さまに技術を提供してますが、自社もインフラを持っています。自社のインフラをどうするかをお客さん目線で考えると、やっぱり選択肢があった方がいいですものね。選択肢としては、①解体して壊す ②新築で建て直す ③リノベ・リフォームする ④リファイニング建築で再生させるの4つがある訳です。我々はやっているから知っていますが、お客さんにアピールしていかないと、実はこの第4の選択肢っていうのを気づかないまま全部壊して後悔してみえる方や、どうしようか悩んでみえる方がいるので、モデルケースとして見学に来ていただければという思いもありました。
創業80周年 その先の100周年に向けて
堀:先ほど「75年史」というお話がありましたが、90ページ近くあり、様々な内容で構成されていて読み応えもあり、素晴らしい記念誌ですよね。
内藤:ありがとうございます。父の代の50年史まではきちんと当社の歴史と伝統が整理整頓されているのですが、私が社長になってからは何も作ってこなかったので、実は60周年史、70周年史はないんですよ。もちろん60周年とか70周年記念の事業としてはいろいろやらせていただいたのですが、これが残念ながら記録として残っていない。(苦笑)
当時、ちょうど80周年に向けて本社を建て替える計画があったので、設計図を作っていました。しかし、建築家の先生方に見せたら、「社長、この建物のコンセプトは?」と聞かれて非常にはっとしたんですね。設計のイメージはありましたが、本社屋にはあまりお金をかけるつもりはなく質素倹約の観点で考えていたので、建物への思いまで考えていなかったというのが正直なところでした。なので、お客さんにメッセージやコンセプトを発信し、内藤建設の建築っていいなって思ってもらえるような、そういった建物を建てるべきじゃないかという建築の原点に立ち返るきっかけをもらえたと思っています。設計案を一度全部白紙に戻してコンセプトから作ろうということで、ハードを作る前に75年史を作ることにしました。我々は建物を建てるにあたって、何らかのメッセージやコンセプトを発信していかないと、建築屋として意味がないということに改めて気づいたのです。
そこで「PORJECT NKB100(内藤建設ブランディング)」を立ち上げ、創業からの経営理念やコンセプトを振り返り、ビジョンの再構築に取り組んだのです。100周年に向け、そのために何をするのか、協力会社さんも含め、社員全員にアンケートをとりました。その中からピックアップしたキーワードを「CS(お客さまの利益)」「CS(会社の発展)」「ES(社員の幸福)」に振り分けし、全てがイコールになるように作ったニュービジョンが「CREATE YOUR HAPPINESS!」で「あなたの“よかった!”を創造する」なんです。
同時に、「建設ドクター」というコンセプトとキャラクターも作りました。
堀:こういった構想は、社長の頭で考えられて発想して形にしてみえるのでしょうか。
内藤:これは、以前からリファイニング建築でお世話になっている株式会社青木建築工房の代表取締役で、杉山女学園大学の青木茂客員教授と、同じく杉山女学園大学の村上心教授(東大の建築学科卒のすごい方)にご指導いただきました。このお二人が大の親友なんですが、このお二方と1年に1回、20人くらいの社長仲間で海外の建物を視察に行くんですね。十数年前からお世話になっていて、青木先生には大垣支店のリファインニングに関わっていただき、村上先生には新社屋に関するビジョン作りでご指導いただいています。
「建設ドクター」というのは、知見があって、お客さんに対してプロとしてのアドバイスを提供できる方のことです。自分の仕事に誇りを持った方々が集まってくるような会社にしたいんです。でも、「建設ドクター」を育成するのには卵がいるんですよ。いきなり「建設ドクター」にはなれないので、やはり産学の連携が必要なのです。今は新社屋を作るミーティングにも村上先生に入っていただいています。実は、今日同席している細川さん(社員)は村上先生の教え子なんですよ。彼女をはじめ、今は、杉山女学園大学の卒業生に何人か入社していただいています。
建築にはアートの側面も大事ということで、新社屋の現場の工事の仮囲いには、愛知県立芸術大学の学生さんが描いた絵を看板シートにプリントしています。また、地元のアートイベントをやって、村上先生からご紹介いただいた県芸の学長に審査をしていただきました。新社屋の1階のホールには、壁の一面に学生さんの絵が展示できるようにと考えています。
内藤:ありがとうございます。父の代の50年史まではきちんと当社の歴史と伝統が整理整頓されているのですが、私が社長になってからは何も作ってこなかったので、実は60周年史、70周年史はないんですよ。もちろん60周年とか70周年記念の事業としてはいろいろやらせていただいたのですが、これが残念ながら記録として残っていない。(苦笑)
当時、ちょうど80周年に向けて本社を建て替える計画があったので、設計図を作っていました。しかし、建築家の先生方に見せたら、「社長、この建物のコンセプトは?」と聞かれて非常にはっとしたんですね。設計のイメージはありましたが、本社屋にはあまりお金をかけるつもりはなく質素倹約の観点で考えていたので、建物への思いまで考えていなかったというのが正直なところでした。なので、お客さんにメッセージやコンセプトを発信し、内藤建設の建築っていいなって思ってもらえるような、そういった建物を建てるべきじゃないかという建築の原点に立ち返るきっかけをもらえたと思っています。設計案を一度全部白紙に戻してコンセプトから作ろうということで、ハードを作る前に75年史を作ることにしました。我々は建物を建てるにあたって、何らかのメッセージやコンセプトを発信していかないと、建築屋として意味がないということに改めて気づいたのです。
そこで「PORJECT NKB100(内藤建設ブランディング)」を立ち上げ、創業からの経営理念やコンセプトを振り返り、ビジョンの再構築に取り組んだのです。100周年に向け、そのために何をするのか、協力会社さんも含め、社員全員にアンケートをとりました。その中からピックアップしたキーワードを「CS(お客さまの利益)」「CS(会社の発展)」「ES(社員の幸福)」に振り分けし、全てがイコールになるように作ったニュービジョンが「CREATE YOUR HAPPINESS!」で「あなたの“よかった!”を創造する」なんです。
同時に、「建設ドクター」というコンセプトとキャラクターも作りました。
堀:こういった構想は、社長の頭で考えられて発想して形にしてみえるのでしょうか。
内藤:これは、以前からリファイニング建築でお世話になっている株式会社青木建築工房の代表取締役で、杉山女学園大学の青木茂客員教授と、同じく杉山女学園大学の村上心教授(東大の建築学科卒のすごい方)にご指導いただきました。このお二人が大の親友なんですが、このお二方と1年に1回、20人くらいの社長仲間で海外の建物を視察に行くんですね。十数年前からお世話になっていて、青木先生には大垣支店のリファインニングに関わっていただき、村上先生には新社屋に関するビジョン作りでご指導いただいています。
「建設ドクター」というのは、知見があって、お客さんに対してプロとしてのアドバイスを提供できる方のことです。自分の仕事に誇りを持った方々が集まってくるような会社にしたいんです。でも、「建設ドクター」を育成するのには卵がいるんですよ。いきなり「建設ドクター」にはなれないので、やはり産学の連携が必要なのです。今は新社屋を作るミーティングにも村上先生に入っていただいています。実は、今日同席している細川さん(社員)は村上先生の教え子なんですよ。彼女をはじめ、今は、杉山女学園大学の卒業生に何人か入社していただいています。
建築にはアートの側面も大事ということで、新社屋の現場の工事の仮囲いには、愛知県立芸術大学の学生さんが描いた絵を看板シートにプリントしています。また、地元のアートイベントをやって、村上先生からご紹介いただいた県芸の学長に審査をしていただきました。新社屋の1階のホールには、壁の一面に学生さんの絵が展示できるようにと考えています。
建物の再生と事業の再生にかける思い
堀:実は私と内藤社長は岐阜信用金庫1994年入庫の同期なんですよね。入庫時の研修で同じ班だったので、それ以来ずっと仲良くさせていただいてますが、社長は岐信に入られた時から内藤建設を継ぐと思ってみえたのでしょうか。
内藤:この地域で飯を食ってこうっていうことは覚悟してました。当時はアメリカにいたのですが、父から「そっちで骨をうずめるのか、こっちで飯食っていくかどっちかにしろっ」て言われました。僕は長男ですが、ちょうど創業者の妻(祖母)が亡くなったこともあり、何も恩返しできてないなと思ったので、何でもやりますということで岐阜に戻ってきました。岐信さんでもお仕事をさせてもらって、そのおかげで、こういうご縁もいただいてると思います。
入庫して4年目に退職して内藤建設に入り、すぐに結婚しました。結婚式には音瀬さん(岐阜信用金庫元会長)に仲人として出席してもらいましたし、もちろん堀部長にも出席してもらっています。堀部長とは同期で、今こういう形でもご縁をいただいて、ありがたいなと思います。長く仕事をしてると、いろんなところでそういうご縁ができて、いろんな頑張ってる人同士が繋がってくるという感覚がありますよね。
内藤:この地域で飯を食ってこうっていうことは覚悟してました。当時はアメリカにいたのですが、父から「そっちで骨をうずめるのか、こっちで飯食っていくかどっちかにしろっ」て言われました。僕は長男ですが、ちょうど創業者の妻(祖母)が亡くなったこともあり、何も恩返しできてないなと思ったので、何でもやりますということで岐阜に戻ってきました。岐信さんでもお仕事をさせてもらって、そのおかげで、こういうご縁もいただいてると思います。
入庫して4年目に退職して内藤建設に入り、すぐに結婚しました。結婚式には音瀬さん(岐阜信用金庫元会長)に仲人として出席してもらいましたし、もちろん堀部長にも出席してもらっています。堀部長とは同期で、今こういう形でもご縁をいただいて、ありがたいなと思います。長く仕事をしてると、いろんなところでそういうご縁ができて、いろんな頑張ってる人同士が繋がってくるという感覚がありますよね。
堀:地域というところで目的やビジョンに共通するところがありますよね。ただ、ここまでにはご苦労もあったのではないでしょうか。
内藤:私が入社した1999年頃(当時29歳)は、一番社員が多くて115名ぐらいいました。入った年が最高営業利益で8億円、翌年が最高売上で110億円ぐらい。最高利益、最高売上が続いて、その当時115名いたのがうちの最高記録。そういう意味では、やっぱり父がすごくて、僕はまだそこを越えられてないんです。
そこから売上が半分になって、社員も75名ぐらいまでリストラして、心労がたたって親父が倒れて、33歳の時に急遽社長になりました。2003年10月に就任したので、その2年後に「トークぎふしん」で取材してもらってるんですね。
建物のリファイニングと一緒で、引き継いだ会社(事業)をどうやって再生させていくか、未来に向けて変化させていくかのイメージが全て重なるんですね。だから、内藤建設としての歴史も繋ぎ、色々な人材を強くしたいと思ったので、彼女のような新しい人材を迎えて、100周年を迎えたいと考えています。この建物(大垣支店)自体は100周年まで残る。この建物を内藤建設の祖業である金型大工が作り、リファイニングで骨組みだけにして全てを再構築して100周年を目指していく姿っていのは、僕が今やってる会社の取り組みとどこか非常に近しいかなと思います。
内藤:私が入社した1999年頃(当時29歳)は、一番社員が多くて115名ぐらいいました。入った年が最高営業利益で8億円、翌年が最高売上で110億円ぐらい。最高利益、最高売上が続いて、その当時115名いたのがうちの最高記録。そういう意味では、やっぱり父がすごくて、僕はまだそこを越えられてないんです。
そこから売上が半分になって、社員も75名ぐらいまでリストラして、心労がたたって親父が倒れて、33歳の時に急遽社長になりました。2003年10月に就任したので、その2年後に「トークぎふしん」で取材してもらってるんですね。
建物のリファイニングと一緒で、引き継いだ会社(事業)をどうやって再生させていくか、未来に向けて変化させていくかのイメージが全て重なるんですね。だから、内藤建設としての歴史も繋ぎ、色々な人材を強くしたいと思ったので、彼女のような新しい人材を迎えて、100周年を迎えたいと考えています。この建物(大垣支店)自体は100周年まで残る。この建物を内藤建設の祖業である金型大工が作り、リファイニングで骨組みだけにして全てを再構築して100周年を目指していく姿っていのは、僕が今やってる会社の取り組みとどこか非常に近しいかなと思います。
未来の「建設ドクター」を発掘する
堀:今日は社員の細川さんにも同席していただいていますが、細川さんは内藤建設さんに何か魅力を感じて入社された訳ですよね。
細川(社員):そうですね。もともと現場志望でこの会社に入ったんですけど、私が就活していた時は女性の現場監督さんがいる会社が少なくて。でもうちの会社には実際にみえたのでイメージがつきました。それと、私はこの地域から出たくなかったので、家から通えるところがいいなと思ったのが入社の動機です。
堀:早くから女性活躍の推進、現場にも女性を採用してみえたということですね。
細川(社員):そうですね。もともと現場志望でこの会社に入ったんですけど、私が就活していた時は女性の現場監督さんがいる会社が少なくて。でもうちの会社には実際にみえたのでイメージがつきました。それと、私はこの地域から出たくなかったので、家から通えるところがいいなと思ったのが入社の動機です。
堀:早くから女性活躍の推進、現場にも女性を採用してみえたということですね。
内藤:そうですね。やりたいっていう方にはやっていただいています。多くの学生はスーパーゼネコンや地元の大手さんへ就職してしまうし、愛知県の大学生は岐阜で就職活動しないんですね。どうしてかというと、岐阜には建築土木はあるけれど建物の大学がないからなんです。だから卵がいない。そういう意味では、採用の話をする時に名古屋から岐阜に来るっていうのは相当大変なんですよ。大手さんと違う切り口でやらないと、現場監督や設計の方を募集しますって普通にやっても来ませんから。だから、会社説明会でも僕が直接発信しています。内藤建設のいいポイントはここです!と言うんですね。その1つが「建設ドクター」なんです。
「スーパーゼネコンが総合病院だとすると、建築でも地域(東海地域)に根差したかかりつけドクターが必要だよね?皆さんは風邪ひいた時に●●総合病院に行きますか?△△クリニックとか■■医院に行くんじゃない??そこっていつも同じところだよね?うちはそういう会社になりたいんです。」と、そういう説明をいつもするんですね。
最初は「建設ドクター」というコンセプトがまだなくて、建築のかかりつけ医なので「ホームドクター」と言ってたんですが、「ホームドクター」は住宅のドクターみたいでなんかちょっと違うよねということで、「建設ドクター」に決まりました。キャラクターも作ろうということになり、地元岐阜市の山田先生(「ドクターコトー」の作者)にキャラクター制作をお願いしました。山田先生に現場監督の写真を何枚か送って、これに白衣を着せてくださいとお願いしたら、「建設ドクター」の「博士(ひろし)くん」というキャラクターになりました。最近は女性社員が増えたので、女性のキャラクターも作ってくださいとお願いしました。名前は社員から公募して、「未来」が多かったので、みくちゃんに決定しました。
堀:常に進化してますね。
内藤:住宅事業は特にそうですけど、最近はインスタでどんどん情報発信してますよね。実はスタートした時は住宅事業部はなかったんですよ。今、売上規模でうちは県内で8番目ぐらいで、市内で3番目ぐらいですが、ここから上は営業利益10億円以上のとこばかりなので、鉄壁でなかなか入りこめない。もちろんチャレンジはしていきますよ。僕らはランチェスター戦略をとってますから。(笑)一方で、住宅業界は10年前のナンバーワンの会社が生き残ってないんですね。地場の住宅屋さんでずっと残るとこはあんまりない。ここから10年後もわからない。ということは僕らにもチャンスがあるということですよね。少なくとも崩せない鉄壁じゃないんです。
堀:しっかりとした事業を抑えつつ、新しい分野は戦略的にやっていかれるということですね。
内藤:会社を引き継いだ2003年10月頃は大型建築と土木が10パーセントぐらいでした。今は住宅事業から不動産部門、大型建築、土木、BtoBの修繕(コンストラクションサービス、CSV)、設計があります。要するに事業構造が変化している。昔は柱が2本のみでしたが今は6本柱ぐらいあるのです。売上は2005年で70億円でしたが、実は去年も70数億円でほぼ同じなんですね。ただ、事業構造の中身が全く違うんですよ。
大型建築だけでやっていたら、多分 今は50億円切ってます。時代と共に変わってこなかったら必要とされないし、売り上げも下がるし、採用もできないし、会社も小さくなってちゃうんですよ。
公共の仕事もいただいてはいますけど、上位数社と比べると、公共建築の比率は圧倒的に少ないです。公共事業に頼らない体制、常に変わっていくっていうスタイルでやってるんで、今こういう情報発信でも響くのだと思います。古いのが悪いというわけではないですけど、お客様とか時代とともに変わらない会社は淘汰されていく。そこの部分だけはかなり意識してますね。
「スーパーゼネコンが総合病院だとすると、建築でも地域(東海地域)に根差したかかりつけドクターが必要だよね?皆さんは風邪ひいた時に●●総合病院に行きますか?△△クリニックとか■■医院に行くんじゃない??そこっていつも同じところだよね?うちはそういう会社になりたいんです。」と、そういう説明をいつもするんですね。
最初は「建設ドクター」というコンセプトがまだなくて、建築のかかりつけ医なので「ホームドクター」と言ってたんですが、「ホームドクター」は住宅のドクターみたいでなんかちょっと違うよねということで、「建設ドクター」に決まりました。キャラクターも作ろうということになり、地元岐阜市の山田先生(「ドクターコトー」の作者)にキャラクター制作をお願いしました。山田先生に現場監督の写真を何枚か送って、これに白衣を着せてくださいとお願いしたら、「建設ドクター」の「博士(ひろし)くん」というキャラクターになりました。最近は女性社員が増えたので、女性のキャラクターも作ってくださいとお願いしました。名前は社員から公募して、「未来」が多かったので、みくちゃんに決定しました。
堀:常に進化してますね。
内藤:住宅事業は特にそうですけど、最近はインスタでどんどん情報発信してますよね。実はスタートした時は住宅事業部はなかったんですよ。今、売上規模でうちは県内で8番目ぐらいで、市内で3番目ぐらいですが、ここから上は営業利益10億円以上のとこばかりなので、鉄壁でなかなか入りこめない。もちろんチャレンジはしていきますよ。僕らはランチェスター戦略をとってますから。(笑)一方で、住宅業界は10年前のナンバーワンの会社が生き残ってないんですね。地場の住宅屋さんでずっと残るとこはあんまりない。ここから10年後もわからない。ということは僕らにもチャンスがあるということですよね。少なくとも崩せない鉄壁じゃないんです。
堀:しっかりとした事業を抑えつつ、新しい分野は戦略的にやっていかれるということですね。
内藤:会社を引き継いだ2003年10月頃は大型建築と土木が10パーセントぐらいでした。今は住宅事業から不動産部門、大型建築、土木、BtoBの修繕(コンストラクションサービス、CSV)、設計があります。要するに事業構造が変化している。昔は柱が2本のみでしたが今は6本柱ぐらいあるのです。売上は2005年で70億円でしたが、実は去年も70数億円でほぼ同じなんですね。ただ、事業構造の中身が全く違うんですよ。
大型建築だけでやっていたら、多分 今は50億円切ってます。時代と共に変わってこなかったら必要とされないし、売り上げも下がるし、採用もできないし、会社も小さくなってちゃうんですよ。
公共の仕事もいただいてはいますけど、上位数社と比べると、公共建築の比率は圧倒的に少ないです。公共事業に頼らない体制、常に変わっていくっていうスタイルでやってるんで、今こういう情報発信でも響くのだと思います。古いのが悪いというわけではないですけど、お客様とか時代とともに変わらない会社は淘汰されていく。そこの部分だけはかなり意識してますね。
チームブランディング
堀:チーム活動にも力を入れてみえますが、何チームあるのですか。
内藤:チーム活動は最初から10チームです。設計部とか建築部とか縦割りではなくて、横串を目的としています。最初2チームか3チームだけ作ろうと思っていたのですが、そうするとなんであの人だけ?って話になるんで、全員が入ってます。
メンバーは僕が任命します。一番上は部門長や役員クラスでオーナー、2番目のリーダークラスに今後頑張ってほしいなっていうメンバーをリーダーとかサブリーダーに任命する。全員配属してます。入社した時は採用をやってもらう。みんなが入社したら採用チームにが入る。ミーティングも月に1回はやっていますね。10人くらいいないとまとまらないし、あんまり多いと休んでもいいかという話になっちゃうので、10人ぐらいがベストだと思い、それなら10チーム作るかということで作りました。
これ以上増やしても減らしてもバランスが崩れるので10チームは固定し、中身を変化させています。スタートしてからもう7~8年になりますね。繰り返しやってく上では仕組み化してきているので、継続する力は皆ついてきていますよ。
内藤:チーム活動は最初から10チームです。設計部とか建築部とか縦割りではなくて、横串を目的としています。最初2チームか3チームだけ作ろうと思っていたのですが、そうするとなんであの人だけ?って話になるんで、全員が入ってます。
メンバーは僕が任命します。一番上は部門長や役員クラスでオーナー、2番目のリーダークラスに今後頑張ってほしいなっていうメンバーをリーダーとかサブリーダーに任命する。全員配属してます。入社した時は採用をやってもらう。みんなが入社したら採用チームにが入る。ミーティングも月に1回はやっていますね。10人くらいいないとまとまらないし、あんまり多いと休んでもいいかという話になっちゃうので、10人ぐらいがベストだと思い、それなら10チーム作るかということで作りました。
これ以上増やしても減らしてもバランスが崩れるので10チームは固定し、中身を変化させています。スタートしてからもう7~8年になりますね。繰り返しやってく上では仕組み化してきているので、継続する力は皆ついてきていますよ。
堀:エンゲージメントが高まったり、離職率の低下につながっていったりというところはありますよね。
細川(社員):私は採用ームなので、入社される方のフォローや、説明会やインターンシップに協力できてるのかなっていうのはちょっとあります。そのおかげで入ってくださったら嬉しいですね。
内藤:確かにそういう意味で言うと、チームの活動がなくなるとどうなるかというと、採用もBCPも全部管理系の部門がやることになるんで手が回らないっていうのと、管理系から全員に発信して巻き込んでいくことのハードルが高いのです。
チームで毎年きちっとやってってもらうと、経営計画発表会の運営もだんだん難易度が下がってくるし、採用でも採用チームが連れてきた方が現場を見学にみえた時に、きちっと協力体制ができているので安心感があります。
基本的にはどんな部門でも、会社の仕事、チームとしての目的や役割があるので、いろんなチームに配属することでエンゲージメントが高まり、結果的には良かったと思います。
堀:各部から参加しているので浸透しやすいですよね。ちゃんとしたオフィシャルな業務のプロジェクトチームってことですね。
内藤:少しですが手当もつけてますしね。100人ぐらいの会社でこれだけやろうと思うと大変なんですよね。
メンバーも毎年入れ替えしてます。うちの会社は実行計画があるので、それに基づいて今年は何やろうかというところから考えて実行してもらっています。
堀:いろんなチームで経験し学ぶことによって、社員さんの意識やスキルが上がってくるのでしょね。
細川(社員):私は採用ームなので、入社される方のフォローや、説明会やインターンシップに協力できてるのかなっていうのはちょっとあります。そのおかげで入ってくださったら嬉しいですね。
内藤:確かにそういう意味で言うと、チームの活動がなくなるとどうなるかというと、採用もBCPも全部管理系の部門がやることになるんで手が回らないっていうのと、管理系から全員に発信して巻き込んでいくことのハードルが高いのです。
チームで毎年きちっとやってってもらうと、経営計画発表会の運営もだんだん難易度が下がってくるし、採用でも採用チームが連れてきた方が現場を見学にみえた時に、きちっと協力体制ができているので安心感があります。
基本的にはどんな部門でも、会社の仕事、チームとしての目的や役割があるので、いろんなチームに配属することでエンゲージメントが高まり、結果的には良かったと思います。
堀:各部から参加しているので浸透しやすいですよね。ちゃんとしたオフィシャルな業務のプロジェクトチームってことですね。
内藤:少しですが手当もつけてますしね。100人ぐらいの会社でこれだけやろうと思うと大変なんですよね。
メンバーも毎年入れ替えしてます。うちの会社は実行計画があるので、それに基づいて今年は何やろうかというところから考えて実行してもらっています。
堀:いろんなチームで経験し学ぶことによって、社員さんの意識やスキルが上がってくるのでしょね。
地域の建設と金融のコラボが未来を創る
内藤:以前あるコンペで勝って、株式会社武蔵野の小山社長出会いました。この会社とお付き合いしていくには、同じレベルじゃないと多分縁が切れるだろうと思ったので、教えてくださいということで、ご縁が始まりました。当時、経営計画書はまだなかったのですが、今は毎年作っていて、これは12冊目になります。毎年の経営計画に沿って、いろいろ実行してきたおかげで、今はこんなに分厚い経営計画書になりました。社員全員が1冊ずつ持っていて、常に確認できるようにしています。
資金については、岐阜は保守的で無借金経営がいいという考えもあったので、昔は決算期に借入をゼロにしていました。でも、コロナが始まる前の2019年ぐらいに、ちょっと先が見えないなと思い、当時金利も低かったので5年以上の私募債も含めて借りれるだけ借りたんですよ。そしたら想定外のコロナが来たので、タイミングが良かったと思いました。
資金については、岐阜は保守的で無借金経営がいいという考えもあったので、昔は決算期に借入をゼロにしていました。でも、コロナが始まる前の2019年ぐらいに、ちょっと先が見えないなと思い、当時金利も低かったので5年以上の私募債も含めて借りれるだけ借りたんですよ。そしたら想定外のコロナが来たので、タイミングが良かったと思いました。
内藤:結果的に、金融機関さんとも連携できたと思います。お金と建設はセットなんですね。建物でのソリューションだとか、ファイナンスのソリューションだとかで連携し、そこの繋がりを深くできたと思います。これからはAIも含めて産業構造とか、人員配置がガラッと変わると思います。でも、方向転換するのに、100人ぐらいの会社だと1年や2年ではできないんです。20年やってきてこれですからね。
長期で金融機関とお付き合いするためには、いい時に資金調達しておくことが基本だと思っています。よく銀行は雨の時に傘を貸さないと言われますけど、個々の会社が良い時に借りて傘を準備しとけばいいんですよ。傘は苦しい時に貸してくれっていうからダメで、いい時から金融機関さんときちんとお付き合いして、その時から長期でお金を借りて、約定返済をきちんとしていけば、苦しい時にも応援してくれると思います。僕はそういう長期的なお付き合いをしていくべきだと思っています。
堀:さすが、金融機関での勤務経験がおありなので、金融機関側の企業審査や企業とのリレーションについてもよくご理解されてますね。最後に100周年に向けて、社長の考える未来についてお聞かせください。
内藤:10年間はもう必死で、とにかく潰さないために一生懸命やってきました。会社を継いだばかりの頃は、同族会社の社長の息子のようなところからスタートしました。どこの会社も同じだと思いますが、頼りないとかしっかりしてないとか、色々あったんですけど、ペラペラの社長からだんだん毎年毎年蓄積してきてここまで来たというのがあります。今年の末に新社屋ができるので、来年の80周年をベースにして、そこから20年間は100周年を目指して、岐阜信用金庫さんをはじめこの地域の皆さん方に必要とされる「建設ドクターの集団」を目指して頑張っていきます。
長期で金融機関とお付き合いするためには、いい時に資金調達しておくことが基本だと思っています。よく銀行は雨の時に傘を貸さないと言われますけど、個々の会社が良い時に借りて傘を準備しとけばいいんですよ。傘は苦しい時に貸してくれっていうからダメで、いい時から金融機関さんときちんとお付き合いして、その時から長期でお金を借りて、約定返済をきちんとしていけば、苦しい時にも応援してくれると思います。僕はそういう長期的なお付き合いをしていくべきだと思っています。
堀:さすが、金融機関での勤務経験がおありなので、金融機関側の企業審査や企業とのリレーションについてもよくご理解されてますね。最後に100周年に向けて、社長の考える未来についてお聞かせください。
内藤:10年間はもう必死で、とにかく潰さないために一生懸命やってきました。会社を継いだばかりの頃は、同族会社の社長の息子のようなところからスタートしました。どこの会社も同じだと思いますが、頼りないとかしっかりしてないとか、色々あったんですけど、ペラペラの社長からだんだん毎年毎年蓄積してきてここまで来たというのがあります。今年の末に新社屋ができるので、来年の80周年をベースにして、そこから20年間は100周年を目指して、岐阜信用金庫さんをはじめこの地域の皆さん方に必要とされる「建設ドクターの集団」を目指して頑張っていきます。



